忍者ブログ
Admin*Write*Comment
ともちーの思うこと
[6]  [86]  [180]  [179]  [178]  [176]  [177]  [28]  [175]  [106]  [108
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

竹中半兵衛「戦国無双3」に発売記念として、
史実にある彼の逸話をのせます。
興味ない人はスルー推奨

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


竹中半兵衛は若くして軍略の巧者と、世間で持て囃されていたそうだ。
柴田勝家や滝川一益と言った歴戦の面々は、どうにもこれが気に入らない。

半兵衛が中国の秀吉の使者として、信長への状況報告のため京に上った折
それを待ち構えた柴田たちが、「そなたに一献差し上げたい」と、無理に竹中を自分達のいる部屋に
連れ込んだ。
『竹中半兵衛、何ほどの事やあらん、軍略に付いて、やり込めてやろうぞ』
との魂胆であった。
しかし竹中
「私は秀吉殿の考えなど聞かされておりません。よって何事も申し上げることはありません。」
「秀吉の考えはさて置いて、竹中殿、お主は中国戦線の状況をどのように考えるか、
それを語っていただきたい。」
これには半兵衛やむを得ず、毛利家の軍事能力、織田方の対処方針、双方の思惑などに付いて
彼の分析を語った。

半兵衛が行った後、その場にいた柴田、滝川、丹羽、佐久間と言った歴々は、
「竹中とは、聞いていた以上の男だ。彼の中国戦線に対する状況分析と展望には、
文句のつけようが無い。軍略の才能と言うのは、合戦の経験で測れるものではないのだな。」
そのように感嘆した、とのことである。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

半兵衛は時折、手足をぶらぶらさせる癖があった。
秀吉や他の武将、果ては客人の面前でも、その癖を直そうとはしなかった。
ある時、その癖を見咎めた武将が「無礼であろう!」と咎めたが、半兵衛は平然と答えた。
「これはいつ敵に襲われても、すぐに身動きが出来る様に備えているのです。
もしその時、手足が痺れて動作が遅れれば大事となりますから。」

わずか十六人の手勢で、稲葉山城を落とした武人の言葉に
「さすがは半兵衛殿。武士とはかくあるべし。」
と、怒った武将もこれに納得したという。



情報を(無断で)頂いたのははここ
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メール
URL
コメント
文字色
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
secret
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
  • ABOUT
「面白画像」「生活の知恵」「役に立たないうんちく」 を20歳の女の子が書いてます。
  • プロフィール
HN:
ともちー
性別:
非公開
自己紹介:
「ともちー」
誕生日・・・1992年春
血液型・・・A型
住み・・・西日本

※安斉トモ子という名前はほかのブログで使っている名前で
このブログでは[ともちー]です

コメント・無断リンク
大歓迎です!!
相互リンクも承ってます

おたよりはコチラ
an15to15?gmail.com
?を@にして送ってください

投票おねがいします(●´ω`●)
にほんブログ村 小説ブログ コラムへ
  • 私のブログ紹介
ともちーのツイッター https://twitter.com/an15to15


「安斉トモ子のどたばた日記」

私の新しいブログです。
「15でオカマ オカマで女優」から一部記事を持ってます。
おもに日記を書くつもりです。

*

「ともちーの思うこと」
(ココのことです)

私の新しいブログです。
「15でオカマ オカマで女優」から一部記事を持ってます。
おもに雑学や評論を書くつもりです。

*

「15でオカマ オカマで女優」

私の旧・ブログです。
15歳~20歳のころにやっていた、日記と評論を兼ねてたブログです。
  • ブログ内検索
  • 最新コメント
[01/28 NONAME]
[01/06 NONAME]
[11/07 NONAME]
[09/09 ともちー]
[09/08 NONAME]
Copyright © ともちーの思うこと All Rights Reserved.*Powered by NinjaBlog
Graphics By R-C free web graphics*material by 工房たま素材館*Template by Kaie
忍者ブログ [PR]